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事例紹介

多すぎるSEの求人。リアルな給与や社風を比較検討して同業他社に転職

<事例1>  Yさん【30代半ば男性/県央エリアSE⇒同エリアSE】

このまま、今の技術だけで食べていけるのだろうか。
県央エリアでSEとして充実したキャリアを築いていたYさん。30を超え、このまま定年までこの会社で良いのか、という疑問が徐々に芽生えてきました。そう考えるようになった理由の一つは、開発内容です。ここ数年某企業の開発の請負現場での仕事が長くなっていました。やりがいもあり、また人間関係も問題なく落ち着いた毎日だったのですが、「この技術だけで、定年まで食べていけるだろうか」という不安も出てきました。会社に相談をしたものの、他に変われる技術者がいない状況で異動は難しく、転職を検討しました。

複数内定取得。複合的にリアルな会社の情報を知りたい
キャリアプラスを含め3社ほど転職エージェントを利用し複数社で内定を取得。比較検討をする中で大事にしたのは、リアルな情報です。弊社ではお取引先企業とのお付き合いが長い場合が多く、会社のこれまでの取り組み弊社紹介者の入社後の様子、また代表の特徴や製品開発など、深い情報を提供。面接でお会いされた方や内定通知以外の情報を集めて、総合的に比較検討をいただきました。

入社時の給与だけでなく、今後の給与の見通しも大事
複数社の雇用条件通知を比較検討する中で、キャリアプラスでは今後発生する手当やなくなる手当、職位が上がるにつれてどのように給与が上がっていくかなど、現在だけでなく今後の見通しも提供。その結果、より今後のキャリアが具体的にイメージできるようになり、キャリアプラスからの紹介先企業の内定を承諾、入社となりました。

「実家の両親に恩返しがしたい」という想いと、現実とのギャップと葛藤を経てUターン。

<事例2>  Sさん【20代後半女性/食品衛生管理⇒CRC(治験コーディネーター)】

震災以降、実家に暮らす両親への想いが強まる
都内で大手食品会社が運営する弁当惣菜類の販売店舗で、食品・衛生検査の仕事に従事していたSさん。業務や職場関係、待遇面でも大きな不満はなかったそうです。転機となったのは東日本大震災。震災後、精神的に将来へ不安を抱えるようになった両親を様子を見て、進学また就職・転職など自分の好きなように歩ませてもらった「恩返しをしたい」、という想いが強まったのが、転職の動機でした。
また年齢的にも30歳を目前に、決断を先延ばしできないと考え、実家また実家の近くに住んで勤務できる企業へ転職し、何かあれば両親をサポートしたいという決断されました。

希望する職種の募集案件が少ない、という現実に直面
実家またはその周辺に住み、車で1時間圏内の勤務地、そして現職(当時)と類似する職種、というのが弊社へ相談をいただいた当初のご要望でした。Sさんが個人的にハローワークに通い仕事を探すのと同時並行で、弊社はクライアント企業やこれまで関わりのある企業へ採用需要の現況と、今後の採用予定等のヒアリングを実施いたしました。
しかし、該当する求人案件は少なく、仕事内容も他の業務と兼任するなど、希望に合致する求人は少なく、かつエントリーするも不採用となり、次第に焦りが強くなってきます。

現実路線に舵を取る
現段階で希望していない職種へも選択肢を広げるか、やっぱり都内での暮らしを続けるか・・・・そんな岐路に立たされたSさん。勤務エリアや希望業務等を絞った転職の難しさを知り、弊社アドバイザーと再面談となりました。そして、社会人として最初にスタートを切ったCRC(治験コーディネーター)職※を、転職希望先に入れることを決断されました。
とはいえ、現実路線に舵を切ったSさんには、当初乗り気ではありませんでした。しかし、弊社紹介でご紹介した求人案件は、希望勤務地内で転勤があっても近場であり、女性が長く勤務している実績があることなどを直接、ご担当者から説明を受け、次第に心境に変化が現れたようです。
選考後、数日後には内定、そして数日後には内定承諾の連絡が。決断の背景には、まず現実的な茨城での転職の現実を知った上で、「何のために転職したいのか」「譲れないもの」を再確認したことがありました。さらに、前回CRC職を辞めた理由(人間関係悪化、また調整役としてのストレス)を棚卸したことも、参考になったようです。CRC職を退職後、社会人として経験を積んだこと、部下を持ち管理する経験をした今なら、上記の悩みも自分なりに対応できるのではないかと、思ったそうです。
※医療機関において、治験責任医師・分担医師の指示のもとに、医学的判断を伴わない業務や、治験に係わる事務的業務、業務を行うチーム内の調整等、治験業務全般をサポートします。

子供との時間を増やしたい。都内へ通勤から地元企業へ転職

<事例3>  Tさん【20代後半男性/業務系システムSE⇒業務系システムSE】

片道2時間通勤の毎日。“今しかない時期”の時間を浪費しているのではないか
業務系システムSEのTさんは、県南エリアに在住で都内に数年、電車通勤を続けていました。片道に要する時間は2時間程度。サッカーで鍛えてきたので体力に自信があったのですが、次第に「将来ずっと続けていけるのか」と不安になっていました。また、お子さんが小さく、平日はまったく会えず、休日出勤も多かったため、子供が小さい今しかない時期の大事な時間を浪費しているような気持ちが強くなってきたそうです。

年収相場の違いにためらい
最大の転職のネックとなったのは、年収面でした。転職経験もなく、順調に新卒入社した企業でステップアップしていたTさんですが、開発ジャンルや言語、ポジション経験をすぐに活かせる企業が、希望する勤務地エリアに皆無でした。採用側の地方の企業は慎重に初年度年収を提示することは多いのが現状で、実際に内定をいただいた企業の提示額とTさんの年収には大きな開きがありました。

複合的な視点から検討し、決断
予想はしていたものの、あまりの落差に当惑。一度ご家族を含めて複合的に相談されたそうです。年間で1000時間近く電車に乗っている時間の、何割かでも子供との時間に使える。配偶者の奥様も将来、仕事をしていきたい、自然豊かな地域で子育てしたいなどの希望などです。弊社としては、内定先企業に今後のキャリアステップの現実性や人事評価制度等について再度、ご説明をいただき、現在の年収にキャッチアップできる可能性、できない可能性について、改めてすり合わせをする機会いただくお願いいたしました。
結局、それだけ年収が下がっても「地元就職する価値がある」との考えに至りました。合わせて、自分の努力で改善が難しいこと(通勤時間含めた仕事に関わる時間)に力を注ぐより、自分の力次第で改善できるハードルのクリアに力を注ぐ方が良いと、熟慮の末たどり着いたそうです。
Tさんは、車で30分以内の業界に特化した業務システムのメーカーに転職。初めて使う言語に当初は慣れなかったそうですが、順調にキャリアを進んでいます。

仕事のやりがいが低下し、魅力を感じられない先輩方の姿をみて転職を決意

<事例4>  Kさん【20代半ば男性/メーカー法人営業⇒メーカー法人営業】

仕事を覚えて、経験を積み逆に仕事へのやりがいが低下
都内私大を卒業し、地元茨城にUターン転職を果たしたKさん。機器メーカーの法人営業職として忙しい毎日を過ごしていました。入社して1、2年は業界や営業スキルを学び、クライアントとの関係を築くことに精一杯の毎日だったそうです。3年目になるとひと通り仕事を覚え、自信も芽生え、お客様との商談でも実績を出し始めていました。
ところが、慣れてきて1年ぐらい経ち、この仕事をこの会社でずっと続けていくことを想像した時、「これでいいのだろうか」と考えてしまったといいます。

面談を通しての気づき
面談では、なぜそういう考えになったのかを、業務内容、商品の価格帯、業界内での立ち位置、お取引先の傾向、職場の人員構成、社風、具体的な一日の仕事の流れ、提案書の内容などを棚卸しさせていただきました。Kさんとしても、普段そういった作業をしたことはなく、自分なりに気づきがあったようです。
在籍する企業は業歴が長く、ベテラン社員も多数存在していました。古くからのお取引先が多い企業です。緩やかに年収が上がっていき、人員構成上また慣習上、昇給も向こう何年先まで可能性がない、というのが分かっています。一つのきっかけになったのは、大きな商談をまとめたことでした。それでも評価にはほとんど結びつかず、落胆したそうです。その他、付き合いの長いお客様を大事にするあまり、新規顧客の消極的な雰囲気も、不安に感じたそうです。

自分の気持ちに“潜水”する時間
入社3年程度で、このような葛藤を経験する方は多いはずです。実際は大卒入社の3割は3年以内で離職しています。にわかに高まった転職意欲ですが、弊社アドバイザーは一旦、再考を提案します。本当にそんなに今の仕事を辞めたいのか、慣れた環境で出来る事はないのか等を本当の自分の気持ちに深く潜る作業を勧めました。ここで初めて、自分でも知らない転職に関する意識や志向が見えてくることがあります。
結局Kさんは、茨城県外本社の建材メーカー(茨城支店)の法人営業職に転職を決断しました。実績がより賞与に反映され、また県外から進出していることもあり、新規顧客開拓にも熱心な企業です。
実際に勤める方との数回の面談も大きな要因となりました。「共に働いてみたい」と実感したそうです。実際に勤務している方とお会いし職場を見せていただくことで得られる情報は、圧倒的に多いです。決断に大きな影響力があります。

自信を持って販売・提案できる仕事がしたい

<事例5>  Yさん【20代後半男性/地方金融機関⇒住宅メーカー営業】

お客様にご提案する商品に引け目を感じてしまう
地方の金融機関で新卒入社以来、勤務していたYさん。実際に入行して思ったのは、仕事内容や社風に大きなギャップがあるということでした。泥臭い仕事が多いこと、また体育会系の職場の雰囲気。しかし、それが嫌で辞めたいということはなかったそうです。それよりは、販売する商品。投資信託などリスクのある商品を、お年寄り相手にきついノルマを課せられて販売することに、Yさんは次第に抵抗感が出てきたようです。

類似する仕事が良いのではないか、という思い込み
Yさんが転職先として真っ先に考えたのが保険業界でした。FPの資格も有しており商品として取り扱っていたこともあるので、「採用されやすい」と考えたようです。その時点では「自信を持って販売する仕事がしたい」という自分の希望は加味されていませんでした。弊社アドバイザーとしては、営業自体が嫌になってしまったわけではないこと、また、ハードワークを避けているわけでもないということなどを踏まえ、アドバイザーからの評価と自分がやりたいことの刷り合わせし、自分のキャリアを整理することを話し合いました。

正式応募の前の「見学」というステップを提案
Yさんは結局、住宅メーカーの営業職としてリスタートを切るわけですが、活動当初は、住宅営業に関して良いイメージはありませんでした。弊社としては、紹介先企業の採用担当者と展示場の責任者に相談し、正式応募の前の見学を提案。快諾をいただき、事前見学という機会を頂きました。そこで初めて、住宅営業のリアルな姿に触れたそうです。住宅という大変高価で販売するのが難しい一方、住宅の性能に自信持って販売している営業スタッフの姿や、熱心に自社の建物を説明して誇りを持っている姿に、良い意味でショックを受けたそうです。
これを機に改めて住宅メーカーについて調べ、また知人を介して住宅業界の情報収集した上で、一番自信を持って売れると感じた会社に転職を決意しました。
Yさんは、自信も持ってかつ幅のある提案ができ、FPの知識を活かした資金計画のご相談にも乗れるということで、成約までの難しさを感じながらも、充実感のある日々を過ごしています。

学んだ経験を地元の企業で活かしたい

<事例6>  Dさん【30代前半女性/都内IT企業人事⇒県内小売企業人事】

良い人材を獲得することの重要性を痛感した20代
茨城県内の高校を卒業後、都内の大学に進学。中堅SIRER企業に新卒入社。当初希望していたわけではなかったそうですが、人事部に配属されたDさん。競合他社がひしめく中で良い人材を獲得し、その後成長して企業に大きな影響を与える姿を、間近でみてきたDさんは、地元茨城で勤務する同級生と話をした際に、大きなギャップを感じたそうです。
人材採用の重要性を感じていないような採用活動や教育。学生に自社の魅力を伝えられない、兼任で採用もこなしているケースが多いことなどを耳にし、残念な印象を受けたそうです。

漠然と物思いにふける中、点が線となる
職場に大きな不安もなくやりがいも感じていたDさんでしたが、30歳になるころから、今後「自分の人生はどうなるのか」「どうしたいのか」という考えが、頭をよぎることが増えたといいます。周りの同僚が結婚や出産を経験し、違う人生を歩み出していることも、影響しているそうです。
何となく「地元にはいつか戻りたいという」気持ちも、帰省の度に頭をもたげていたのですが、だからといって、実際にUターン準備を進めていたわけではありませんでした。
契機になったのはあるアイデアが、ぼんやりと考えを巡らせている時に浮かんだことでした。
「厳しい人材採用競争で培った経験を、茨城の地元企業に活かして働けたら面白いはず」

現状を理解していただいた上で長期戦を覚悟
とはいえ、茨城の転職市場で人事職の案件は多くはありません。兼任で他の業務をすることも当たり前です。また、Dさんは、経営者の考えを重視していました。人材採用にポリシーを持つトップのもとで働きたいという気持ちがあります。弊社にご相談をいただいた時点でも、上記の事情をお伝えした上で、長期戦でも構わないという共通理解を得ました。
機会は予想通り中々訪れませんでしたが、一年近く経過した頃、生活関連サービス企業が採用強化を明確に打ち出し、人事採用職の即戦力のご相談をいただいたのでした。そこからは、思いのほか話は進展し、半月程度の間に選考を複数回実施して内定、内定承諾となりました。

社長がどれだけ本気で人の採用を考えているか
内定先企業は学生人気が高いわけでもなく、一般的な認知度も低い企業。良い人材を採用するのは、非常に難しい状況です。しかし、採用活動に関する投資、他部署社員を巻き込んでの採用活動、オリジナルの教育研修を毎年、練磨している実績、何より社長の言葉の端々から感じられる良い人材を採用したいという情熱と決意。Dさんは初回で良い印象を持ったそうです。
業務は以前のように専任ではなく、兼任でこなしているため、難しい事や苦労もあるそうですが、今は、「人材採用を真剣に行っている企業が成長する」ということを、社内外に発信していていきたいと、奮闘されています。

経歴だけでは見えない潜在能力に賭けた採用

<事例7>  Iさん【20代半ば男性/アルバイト勤務⇒機器開発技術職】

納得のいかない就職活動を経て入社も
大学受験のように偏差値という数字で難易度がある程度分かる競争と違い、就職活動は「もしかしたら受かるかも」という楽観的な考えで、非常に採用競争が厳しい上場企業や有名企業を受ける学生が少なくありません。大学で電子工学を学んでいたIさんの場合も、難関企業ばかり受け、不採用が続き次第に自信を失って、活動がスローダウン。そのうち受けられる会社が減っていき・・・という、ありがちなパターンに陥ってしまったそうです。
それでも「何か仕事はしなくては」との思いから、特定技術者派遣の企業に就職。しかし、職務内容は、興味のある電子回路設計の仕事ではありませんでしたし、大きなプロジェクトの一部に関わっているので「完成するものが分かりにくく、達成感を得られない」日々だったそうです。

退職そしてアルバイト生活へ
2年近く勤務を続けたものの、自分のやりたい電子回路やものづくりにダイレクトに関わる仕事がしたいとの思いから、退職を決意。次の職場が決まっていない状態でした。これに関しては「考えが甘かった」と振り返るIさん。転職先を探しながら、接客サービスのアルバイトと工場軽作業のアルバイトを兼任。次第に忙しくなり、転職活動も後回しになるという、再び悪循環に陥ってしまいます。

職場見学での表情や目つき。社長はそこを重視していた。
弊社でご紹介した企業は、機器開発の技術者を募集している中小企業。求める技術と経験を持つ中途経験者を採用したいという意向はあったのですが、地方の場合、転職者のパイは限られています。思うような採用ができず、「時間がかかっても若手を育てていこう」という、両にらみの活動を続けていました。
面接と職場見学、技術者との面談は、じっくりと時間をとって行われました。職務経歴をみて当初は、あまり評価は高くなかったのですが、就活やアルバイトでもまれたからか、年齢以上に落ち着いていること、実家が自営業ということもあり、商売に対する意識が高いこと、実際に制作している機器の中身を見せたときの“喜びよう”や、興味津々の目つきをみて、社長も考えが変わったようです。
「1社目で早期離職、現在フリーター」という色眼鏡は、選考を通じて外れたとはいえ、「一人前になるまで最低5年はかかる」と職務内容。またIさんにとっても、職場見学を通じて、考えていた以上に難しい技術・仕事で、相当勉強していかないと続けられない仕事だと感じ、不安が頭をよぎったようです。
それでも結局は、双方に勇気と決断力があったことで、内定・入社が決まりました。就活、軽はずみな離職でのロスを言い訳にせず、決意を胸に新しいステップを歩んだIさんは現在、急激な成長を遂げているそうです。

タイムリー採用需要に合致。別業界に転職

<事例8>  Mさん【40代前半女性/衣料品店店長⇒雑貨等小売店長(候補)】

ご両親の都合で店長職を退社
全国的に衣料品店舗を展開する企業で店長として活躍していたMさん。後進の指導にも定評があり、本部からの表彰も受けたことも、数回ありました。充実感のある仕事ができていると感じていたそうですが、転機になったのは実母が大怪我をされたことでした。しばらくの間、近くで通院や生活の面倒を見たいと、転職を決意されました。
幸い療養は順調に進み、約1年半後には、Mさんも本格的に転職活動を再開しました。

意外な不採用理由
類似する商品を販売する小売店舗を転職先として定め、活動をしていたのですが、パート・アルバイトの募集ばかりでした。中々、正社員での募集がなく、少ない求人も不採用が続きました。中には、「●●さんでそんなに活躍されていたから、癖がついているはず。逆にうちとしては採用を躊躇してしまう」、と率直に言われたこともあったそうです。弊社に相談に来られたのは、ちょうどその後でした。また、ちょうど同じころ、弊社アドバイザーが、ある衣料品を中心に雑貨等小売店舗を運営する企業の経営者から、今後の事業展開について興味深い内容をお聞きしていました。

タイムリーな採用需要
構想は、販売品目を増やして強化するというもので、衣料品もその中に含まれるというものでした。お得意様のお客様から要望もあり、衣類を一部販売していました。これをさらに強化していきたいという考えでした。
Mさんの取り扱っていた衣類の顧客層とも一致し、良い縁と感じたアドバイザーは双方お会いしていただくご提案をし、1週間もあけずに面談の機会をいただきました。Mさんはこの話にとても興味を持っていただきました。また、これまで取り扱ったことのない商品知識を覚えたり、違う会社の販売方針や理念を吸収することにも、じっくりと説明しご理解をいただきました。
採用企業としても、衣類販売の他社の手法を参考にできますし、新人の育成経験もあるので、ほかの店舗にも横展開できると期待し、また人柄としても社風に合った方だったそうです。
とはいえ、Mさんの年収は大幅にダウンとなりました。しかも「考えたことがない選択肢でした」というオファーにも関わらず、早々に決断しました。
採用需要は日々変化しており、突然、考えていなかったような面接や入社する機会が発生することがあります。それをチャンスと捉えるか、リスクのある話だと考えるか、求職者それぞれによります。成功するかどうかも確証はありません。ただし、機会を自ら創らない人に、良い話しはまいこみません。

企業は変化するということを知り、当初希望していなかった同業他社へ

<事例9>  Nさん【30代半ば男性/住宅設計⇒住宅設計】

その会社は良いイメージがないので結構です
2級建築士で、戸建て住宅の設計経験が豊富なNさん。現職の業況悪化、経営者の体調も悪く先行きが不安になり、転職相談にエントリーされました。面談後、複数社の候補企業をご案内。しかし、ほとんどの企業のエントリーをその場で辞退されました。
地方の同業界なので、いろいろな情報が入ってくるそうです。その為、知らない企業に魅力があるという気持ちが強かったようです。

会社も求職者も変わる
しかし、会社というのは良くも悪くも変化するものです。また、外から見ているのと、実際の中身は良くも悪くも違うものです。そして求職者も、置かれる立場や経験したこと、求められる役割に応じて、仕事や会社に対する考えは変化するものです。
お勧めした企業も「そこの会社の人とは、随分まえですが話をしたことがあります。正直、良いイメージはありません」と当初、消極的でした。しかし、その企業は投資と労力をかけて行ってきた新卒採用や教育を継続的に行ってきた努力、世代交代などがじわじわと浸透し、業績にも良い影響が出ていました。「一度、会社の方とお会いしてみてはいかがでしょうか」と弊社アドバイザーは提案、その企業の方と会っていただくことになりました。

思っていた会社と違っていました
会社説明、職場案内、面接を経て、Nさんに印象を聞いたところ、「思っていた会社と違っていました」との感想。職場で働く方々の姿やオフィスの細部に、会社の状況は如実に表れます。Nさんも実際に採用担当者の熱意や職場の方々が張り切って仕事をしている様子、オープンで明るい雰囲気に良い意味でびっくりしたようです。
そこからは思いのほか早く選考は進み、内定~入社となりました。
世の中の変化や業界・企業の状況、自分の求められる姿と「やりたいこと・やりたくないこと」。複雑に変動する中で、どう自分の中で接点を見つけ出し、どう折り合いをつけるか非常に難しい問題です。Nさんは、自分のこだわりや出来上がったイメージに拘泥することなく、変化を受け止められる方でした。Nさんは現在、責任あるポジションで企業発展に貢献しています。